
- カーネギーメロン大学、MIT、NYU、スタンフォード大学の共同チームがAIを開発
- 世界最強とされるPim Niemeijer氏に15勝1敗4引き分け、世界選手権でも40戦38勝
- 学習は16GPU・数千ドル規模。DeepNashの推計300万〜450万ドルより大幅に安い
何が起きたのか
カーネギーメロン大学、MIT、ニューヨーク大学、スタンフォード大学の研究者による共同チームが、不完全情報ゲーム「Stratego」をプレイするAI「Ataraxos」を開発したと発表しました。世界最強とされるPim Niemeijer氏に15勝1敗4引き分けで勝ち越しています。Niemeijer氏は世界選手権を4度制し、世界ランキング1位の期間が600週を超えるプレイヤーです。
対戦は3週間にわたりオンラインで20局行われ、Niemeijer氏には1勝ごとに100ドルが支払われたとされます。同氏はAIが自分の癖に合わせて適応しないことを知らされており、弱点を探す時間もありましたが、勝てたのは1局だけでした。2025年のStratego世界選手権では、Ataraxosに挑んだ参加者たちが40局中38局を落としています。
世界選手権の対戦では、Ataraxosが旗を角に置き、その前に爆弾を2つだけ配置するという人間にはほとんど見られない布陣を頻繁に使ったことに参加者が驚いたとされます。MITのGabriele Farina氏は「このボットはメタゲームを少し歪めたと思う」と述べています。
Strategoの難しさ
Strategoでは各プレイヤーが40個の駒を持ちます。駒には元帥からスパイまでの階級があり、それに爆弾と旗が加わります。勝利条件は相手の旗を取ることです。
相手は駒の位置は見えますが、それが何なのかは分かりません。駒の正体は2つの駒が戦って初めて明らかになり、弱い側が取り除かれ、勝った側の正体が公開されます。こうした性質からStrategoはポーカーと同じ不完全情報ゲームに分類されます。
Farina氏によれば、テキサス・ホールデムでは隠されたカードは2枚だけで、あり得る手は1,326通りに収まります。一方Strategoは盤上の40個が任意の順序を取り得るため、可能な配置は10の33乗(デシリオン)を超えるとされます。加えてチェスが通常40手程度で終わるのに対し、Strategoの1局は2,000手に及ぶことも珍しくないといいます。
先読みと信念モデル
AtaraxosはDeepMindのDeepNashと同様、自己対戦で学習しました。合計1億6,300万局をプレイしたとされます。勝ちにつながった手は強化されて後の対局で選ばれやすくなり、負けにつながった手は選ばれにくくなるという基本的な仕組みは共通です。
違いの一つは、1局ごとにどれだけ大きく戦略を更新するかでした。隠れた情報があると自己対戦の学習アルゴリズムは同じ場所を回り続けやすいため、チームは学習の初期には大きく大胆に、後半には小さく慎重に戦略を変えるようにしました。
さらに大きな工夫が着手前の先読みです。AlphaGoなどは行動の直前に探索で方針を精密化しますが、Strategoは探索空間が大きすぎてDeepMindはこれを実現できませんでした。Ataraxosは「信念モデル」と呼ぶ2つ目のニューラルネットワークで相手の動かし方から隠れた駒の正体を推測し、あり得る配置をすべて試す代わりにもっともらしい配置を抽出して候補手を展開します。
Ataraxosという名前は、古代ギリシャ語で平静な状態を指す語に由来します。Farina氏は、人間の感情を持たないこの構造が、人間なら冷静さを失う局面でも衝動的な手を避けると説明しています。大きく負けている状況でも、人間のように一発逆転の賭けに出るのではなく、時間をかけて着実に巻き返すとされます。
DeepNashとの違い
DeepNashはGoogleの専用チップ1,024基で2〜3カ月かけて学習され、Ataraxosのチームはこれを2025年価格で300万〜450万ドル相当と見積もっています。Ataraxosは16基のGPUを1週間、信念モデルの学習にさらに4基を4日間使っただけでした。
Farina氏と筆頭著者のSamuel Sokota氏は、GPU上で毎秒数百万手を実行するシミュレータを書くことでこの効率を実現しました。Farina氏は「私たちがいる学界の規模では、GPUを丸ごと使えるわけではない」と述べています。学習に使った対局数もDeepNashの約34分の1で、それでも最終的な強さは上だったとされます。
応用と残る課題
Ataraxosのアーキテクチャは他のゲームでも機能したと報告されています。Strategoの8駒版であるBarrage Strategoでは世界王者3人を破り、協力型カードゲームのHanabiを習得し、中国のカードゲーム「斗地主」でも最強のボットを破ったとされます。
研究チームはボードゲームより複雑な状況への応用を視野に入れています。交渉や金融市場、軍事衝突のような現実の問題には固定されたルールも明確な勝者もありませんが、NYUのEugene Vinitsky氏によれば、どんな現実の問題も単純化したモデルを作るところから始まるため、距離は見た目より小さいと主張しています。
一方で課題も残ります。現在のAtaraxosは、なぜその手を選んだのかを説明できません。Farina氏は「強いだけでなく解釈可能で説明可能な戦略を生み出す機械に取り組みたいが、まだそこには達していない」と述べています。
| 項目 | DeepNash | Ataraxos |
|---|---|---|
| 学習に使った計算資源 | Googleの専用チップ1,024基(2〜3カ月) | GPU16基(1週間)+追加4基(4日) |
| 推定コスト | 300万〜450万ドル(2025年価格) | 数千ドル規模 |
| 学習した対局数 | Ataraxosの約34倍 | DeepNashの約34分の1 |
| 着手前の先読み探索 | 探索空間が大きく実現できず | 信念モデルで実現 |
There's something super distinctive about Stratego, which is that it is a massive amount of hidden information that unfolds over a very long time scale
Strategoには非常に特徴的な点があります。それは、非常に長い時間スケールにわたって展開される、膨大な量の隠れた情報があるということです
今後の見通し
研究チームは次に、Ataraxosの判断を人間が理解できる形にすることを目指しています。現状のAIは強い手を選べても、その理由を説明できません。解釈可能性の手法がどこまで進むかが、実務への応用を判断する材料になりそうです。また、交渉や金融市場、軍事シミュレーションといった現実の問題に、この手法がそのまま通用するかは明らかになっていません。ボードゲームと現実の違いは大きく、単純化したモデルをどこまで現実に近づけられるかが鍵になるとみられます。Natureに掲載された論文の詳細や、他チームによる追試の結果が公表されれば、汎用性の評価が進むと考えられます。
日本の開発者・IT企業にとっての意味
この研究が日本の開発者にとって重要なのは、性能の高さだけでなく、コストの下げ方にあります。DeepNashが専用チップ1,024基と数百万ドル規模を要したのに対し、AtaraxosはGPU16基と数千ドル規模で学習され、対局数も約34分の1でした。GPU上で毎秒数百万手を回すシミュレータを自作したことが効率化の鍵で、これは強化学習を自社で回そうとするチームにとって現実的な参考になります。不完全情報下で相手の状態を推測する信念モデルと探索を組み合わせる設計は、在庫や価格の予測、交渉支援、セキュリティのように相手の意図が見えない課題へ応用できる可能性があります。ただし現状のAtaraxosは判断理由を説明できないため、業務システムに組み込むには説明可能性の確保が前提になるとみられます。
気になる点
- Ataraxosのコードやモデルは公開されているのか
- 原文には公開状況についての記載がありません。研究チームの成果はNatureに掲載された論文として報告されていますが、コードや学習済みモデルを誰でも利用できる形で公開するかどうかは、現時点では公表されていません。まずは論文の内容が確認材料になるとみられます。
- 学習コストはどのくらいかかるのか
- 原文では「数千ドル規模」とされています。比較として、DeepNashはGoogleの専用チップ1,024基で2〜3カ月学習し、2025年価格で300万〜450万ドル相当と見積もられています。日本の企業が同等のモデルを自前で学習する場合の費用は、GPUの調達方法や利用形態によって変わるとみられます。
- ゲーム以外の業務システムにも流用できるのか
- Ataraxosのアーキテクチャは、Barrage Stratego、Hanabi、斗地主といった別のゲームでも機能したと報告されています。ただしこれらはいずれもルールが固定されたゲームです。交渉や金融市場のような現実の問題に適用できるかは研究チーム自身が今後の課題としており、現時点で実証されていません。
用語解説
- 不完全情報ゲーム
- 相手の手持ちや状態の一部が互いに見えないまま進めるゲーム。ポーカーやStrategoが該当します。
- 自己対戦
- AIが自分自身と対局を繰り返し、勝ちにつながる手を強化して学習する手法です。
- 信念モデル
- 相手の動かし方から、見えない駒の正体や配置を推測するために訓練されたニューラルネットワークです。
- メタゲーム
- ゲームコミュニティで共有される定番の戦術や流行の傾向を指します。
- GPU
- 画像処理用に発展した並列計算チップ。近年はAIの学習にも広く使われます。
出典
With most information hidden, the game Stratego had stumped AI—until now
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